top of page

「争わない」について感じたこと

2023年11月25日
読了時間: 3分

この間、スタジオで套路の練習をしていたとき、近くで大きな声で笑いながら雑談をしている人がいました。套路をやっているときは、心を落ち着かせてできるだけ静かな心持ちでやりたいものです。あんまりいい気はしませんでした。早く静かになってくれないかなぁ、と思いながら、集中できずに、套路の動きを黙々と続けました。


そんな状態でも心を落ち着かせてできなければ、いけないなぁ、なんて思っていたら、ふと気づきました。スタジオも今自分がいるこの空間も、自分のものではありません。私だけかもしれませんが、自分がいる場所、立っている場所って、なんだか自分のもののように感じがちではありませんか?その場所を、音であれ、光であれ、物理的にであれ、侵害されると、いい気分がしなくなります。


自分のものではない、って思えるようになったら、ちょっと気分が楽になりました。自分のものではないのであれば、それを変えることはできない、自分の周りで他人がどれだけ騒ごうが、その状態を変える根拠は自分にはありません。


套路をこの場所でやっているのは、自分の勝手だし、その周りで騒いでいるのは、その人たちの勝手です。お互いに勝手をしているわけで、片方だけの言い分が通ることはないのではないかという気がしてきました。


それでは、変えられるものは何かないのか、って考えてみたら、自分の感じ方は、変えることができると気づきました。自分の心や身体は自分のものか、簡単に変えられるものなのか、っていうのは、難しい議論があるのかもしれませんが、少なくとも、他人に干渉することなく、自分の感じ方を変えることはできそうです。


こう考えると、自分の周りで起きていることに、抗うのではなく、それを受け流していけば、自分の気分も落ち着いた状態を保てるようになりました。


争わないことに関しては、老子を読んでいて何度も出てきました。今まで、争わない=物理的に戦わない、といった浅はかな理解をしてきました。争はないのは、身体だけではなく、心も争うわないようになると、イライラすることも少なくなって、穏やかに過ごせるのかな、って今更ながら感じました。


大したことのない気づきですが、自分にとっては大きな一歩だと感じました。どんなときにでも、誰に対してでも、こういう気分で接することができるようになると、より幸せになれるのだと思います。それを目指しながら、修行を続けていきたいと思います。




コンタクト ー ご興味のある方は是非ご連絡ください


電子メール: mitchsato17@yahoo.com

Homepage:

呉式太極拳教室「太極の小径」では、2023年10月からの生徒さんを募集しています。詳しくはこちらからご覧ください。




これからもいろいろな話題を紹介していきます。

最新のブログをご覧いただくために登録をお願いします


このブログが面白かったら、こちらもポチッとお願いします。


最新記事

すべて表示
初めて太極拳を教えた時の映像

何事にも初めてがあります。2018年、今から8年前に初めて太極拳のグループレッスンの担当になった時の映像が出てきました。懐かしい気分になったので、ブログにしてみることにしました。 https://www.facebook.com/share/v/1PLFTQu23p/ 緊張しているせいか、キョロキョロしている感じです。 攻腿(体を前に移動させる)時の姿勢の確認をしています。呉式太極拳では、体重を前

 
 
 
自分の体のメインテナンス

おかげさまでレッスンの時間が長くなってきたため、立っている時間がかなり長時間になる日が増えてきました。たかが立っている状態ではありますが、それなりに体は使っているので、疲労は蓄積します。それほど若くもないので、体のメインテナンスの必要を感じます。 若い頃は、疲れるとマッサージに行くことが多かったです。できるだけ強く揉んでもらって、強引に揉み解すような感じでした。定期的に通うのではなく、疲れを感じて

 
 
 
自分のこれからの鍛錬の大きな変化です

元来、変にプライドが高いせいか、何かを教わるのであれば、自分が本当に信じられる人からしか教わってこなかった傾向がありました。特に太極拳に関しては、自分自身、それなりに鍛錬を積んできたと言う自負があるので、なかなかよく知らない人に教えを乞うことができませんでした。 この傾向に拍車をかけたのは、自分がシンガポール時代に学んでいた先生の影響です。私の先生は、自分のやっていることが正しく、他の人は間違って

 
 
 

コメント


bottom of page