今日、1年半以上、毎週2回個人レッスンを続けている生徒さんを教えました。最近、彼女の動きを治すための修正に力を入れていて、それなりの成果が出てると感じました。こちらの説明もわかってくれるようになったし、個別ステップの動きは太極拳らしくなってきて、良くなってきました。
套路の流れの中でどの程度できるようになっているのかを見たくて、今回は、ビデオを撮りながら、初めから套路をやってみてもらいました。
この生徒さん、元々中国語を教えていた経験もあり、教える人の気持ちも学ぶ人の気持ちもわかる人です。それが大きな理由の一つだと思うのですが、教えられたことをしっかり身につけようと努力をされているのをいつも感じます。宿題を出すときちんとやってきます。
ビデオで撮った套路を見ていても、ここでこう言うことを教えたな、と私が感じることができるぐらい、学んだことをしっかりと見せてくれます。誤解のないように言うと、教えられた内容を理解しているよと言うことをアピールするような変な動きになっていないのもこの生徒さんの良いところです(できること、覚えていることを先生にアピールしたがる生徒さんがたくさんいるものです)。
でも、ふと感じたのは、動きが全体的に硬いと言うこと。教えられたことを頭で理解して、それを再現しようとするため、この動きの次は、この動き、と一所懸命動きを追い続けるため、どうしても柔らかい動きにならないのです。
教えてきた私にも原因があると感じました。頭の良い生徒さんなので、色々と言葉で説明をしすぎたと反省しています。動きの軸はここにあるべきで、ここを固定して、ここを動かして、などなど。私のデモを外から見ていてもわからないようなことまで話していた気がします。私自身、自分がしっかり教えられることを示したいと言う思いが強すぎたのかもしれません。
細かく教えると、表面的な動きはできるようになるのですが、頭をフル回転させて動きを行うため、どうしても動きが硬くなる。それと同時に、生徒さんが考えると言うことをしなくなってしまう可能性があります。幸い、この生徒さんの場合には、ご自分の過去の経験から、色々な実験を自らしてくださっているのであまり心配はしてはいませんが。
自分が師匠から学んだ時には、こんな問題があった、それを自分はこんなふうに解決してきた、と伝えてあげるのは生徒さんの役に立つ話のように聞こえますが、問題の根底にある理由が同じでない限り、全く役に立たない情報になる可能性があります。生徒さんが役に立たない情報を鵜呑みにして、自分に当てはめ、その結果できるようにならないのは、教える側の問題だと、改めて感じています。
この間読んだ本で、立禅を習い始めた当時、作者の師匠がリラックスをして立っているように、とだけ言って、どこかへ行ってしまった、って言う話が書いてありました。立禅って、言葉で教えるのがとても難しいのだろうと、自分も感じています。言葉で教えようとした途端、教えている本人も何を教えようとしているのかわからなくなり、教わっている人も何を指導されているのかわからなくなりそうです。一見投げやりな教え方なようにも感じますが、言葉では教えられないことがあって、教える立場の人が行うデモやちょっとした発言、生徒さん自身の繰り返しの試行から学ぶことを促すことが必要なのではないかって思います。
教える立場にいる人間にとって、どこまで言葉で教えたら良いのか、どこから生徒さんに考えさせたら良いのか、と言うのは難しい課題です。太極拳の場合には、ある程度の動きから先は、自分自身の感覚で掴まなければいけないところもあるので、そこに教える側が入り込んで、言葉でいじくりまわすと、良い結果は生まれないだろうと感じます。10教えることがあれば、3ぐらいまで教えて、あとは生徒さんに考えさせた方が良い、なんて話を聞いたこともあります。
この問題意識、少しコーチングの本でも読みながら、さらに考察を深めていきたいと思っています。
教えるって、自分が学ぶよりもさらに奥が深いものです。
これからもいろいろな話題を紹介していきます。
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