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執筆者の写真Mitch Sato

呉式太極拳と出会うまで

まずは、どんな人が太極拳教室を作ろうとしているかをお話させてください。

太極拳歴は10年ほどです(2022年現在)。決して十分な経験ではありません。巷にはもっと長い間研鑽を積まれてきている方々がたくさんいます。そんな諸先輩方を差し置いて教室を開けようなんておこがましいですが、私なりの目標があるので大目に見ていただければ幸いです。

太極拳を始める前は、自転車競技とマラソンをやっていました。競争を続けることと体力的な衰えから続けるモチベーションを保つことができなくなりました。

何か代わりに、残りの人生の間楽しめるものはないかと探していて出会ったのが太極拳でした。自転車に乗らなくなって、唯一の運動が朝の散歩になっていた時、中野区の掲示板で太極拳教室をやっているという張り紙を見ました。週に一度、体育館の一室で行われていた教室でした。そこでは気功や簡化24式、楊式48式、陳式などなどかなり色々な套路をやっていました。私は参加したことはありませんが、大会に参加している方もいたと記憶しています。この教室で、簡化24式をとりあえず最後まで学びました。この当時の私の太極拳は、まさに外面だけの踊りだったと思います。

その後、陳式心意混元太極拳を学ぶ機会がありました。公民館の一室を借りて、週に一度教室は行われました。この教室では、気功と套路の動きの応用に力を入れていたと感じました。この時、太極拳の根源には、易経の知識がいるのだと言うことを学びました。

1年ほど陳式心意混元太極拳を学んだ頃、シンガポールで仕事をしないかという誘いを受けて、2度目の渡星をすることを決意しました。陳式心意混元太極拳を続けたいと思っていたため、先生からシンガポールで同門の方の学校を教えていただきました。

シンガポールでの生活が落ち着いた頃、教えていただいた学校に電話をしてみたところ、陳式の教室は空きがなく、呉式ならちょうど始められるクラスがある、と言われました。当時、呉式太極拳は日本ではあまり知られていない、第3の太極拳ぐらいの認識しかなく、他にいくあてもなかったため、陳式を諦めて、呉式の手解きを受けることになりました。

今の師匠との出会いはここから始まります。ちなみにこの学校は師匠自身の学校ではなく、他の方がやっている学校の間借りでした。中心としてやっていたのは、子供向けの武術指導で、大人向けの教室はその付属品。呉式はさらにおまけ、と言う感じで、学校としてはそれほど力は入れていない感じでした。

専用のスタジオはあったのですが、他のクラスと時間が被ったりすると、青空教室に追い出されることもしばしばありました。

この学校で1年ほど呉式太極拳を学び、108式套路をとりあえず最後までできるようになりました。できるようになった、と言っても、とりあえず外面的な動きを追えるようになっただけで、姿勢は曲がっているし、動きもロボットさながらでした。まだまだ太極拳って何?と言う問いかけに自分で答えのできる状態では全くなかったです。

この頃、師匠が自分の学校を作ることになり、私もそこについていくことにしました。ここから呉式太極拳のトレーニングが本格的に始まりました。2016年5月のことです。

長くなりますので、続きはまた次回に。

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