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鈴木大拙著 ー 禅と日本文化

岩波新書の赤版は、1938年の創刊以来46年まで101点が出版されたそうです。今でも買うことができる本が何冊あるのかは調べられませんでしたが、一番古いものからは90年近く経っていることになります。それだけ長い年月が経っても、需要があって廃盤になっていない本は、名作が揃っていると感じます。


この本、元々は、”Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture"という英文のでした。本書は、北川桃雄氏が翻訳をしたものです。翻訳にあたっては、原作の著者である鈴木大拙氏が内容のチェックを行い、自分の意図が反映されているかどうかを確認したそうです。

これまで鈴木大拙氏の著作は何冊か読んだけど、どれも難解で、とにかく最後までページをめくっただけ、とで終わってしまうことが続いていました。


この本は、翻訳者が単なる言葉の置き換えではなく、自分で消化をしてから訳してくれたからでしょうか、内容が頭の中に今までの本よりも容易に頭の中に入ってきました。


禅が日本の文化にどのような影響を及ぼしたかを、美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句の観点から考察しています。この本が出版された1940年ごろの日本人にとっては、当たり前の内容だったのかもしれませんが、今の私にとっては、昔の常識を改めて学ぶことができたように感じました。原書が外国人向けに書かれたため、理解するのに必要な基本知識が押さえられているのでしょう。


太極拳を学んでいく上で参考になりそうな箇所がたくさんありました。そのうちのいくつかをご紹介します。


「単に芸術を技術的に知るだけでは、真にそれを熟達するには不十分である。その精神に深く入らなければいかぬ。この精神は、彼の心が生命それ自体の原則と完全に共鳴した時のみ、すなわち、「無心」として知られる「神秘的」な心理状態に達するときにのみ把握される」(69ページ)


「単に太刀の使い方が技術的に巧みだということは、かならずしも、剣匠として十分な資格にならない。精神的鍛錬の最後の段階を自覚しなければならぬ。それは円空によって象徴される無心境に達することである」(93ページ)


「「無意識」というものがいかなる種類の芸術技法を使う場合にも、実際的の出来事を処理する場合にも、その赴くままに任せられれば驚異を働かすという真理、悟りという禅体験の機会となる「無意識」なるものの目覚めが、芸術活動の完成の元になっているという心理を明らかにするのである」(142ページ)


「悟りの原則は事物の真理に到達するため概念に頼らぬことである。概念は真理を定義するには役だつが、われわれが身をもってそれを知ることには役にたたぬ。概念的知識はある点ではわれわれを利口にするが、これは悲壮なことにすぎぬ。生きた真理そのものではない。それゆえ、それには創造性がない」(151ページ)


改めてパラパラとめくってみると、「無心」になることが芸術を極める上では必要だということが繰り返し書かれています。そして、「無心」になること、「悟り」に至ることは、言葉、概念を用いても表面的な理解にしかつながらないことも何度も書かれています。


言葉を使わないでどうやって理解したら良いのか、まだ腑に落ちていません。言葉によらない理解は、直感によってもたらされる、そのためには実体験をするしかない、と言っています。この本の中では、実体験をするために座り続けろ、みたいな結論にはなっていませんが、座禅であれ、私が極めていきたいと思っている太極拳であれ、とにかく繰り返し鍛錬をして、「無心」の境地でできるようになることが必要だということだと、今のところは理解しました。


すぐにではないですが、時間のあるときに、もう一度ゆっくりと読んでみたい本です。



 

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