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鈴木大拙著「無心ということ」

自分だけかもしれないけど、何かを学ぼうとする時、何かに関する本を読む時、答えを与えてくれることを期待しすぎるのかもしれないと感じました。教える立場にある人は、教わる人に対してわかりやすく説明する義務がある、というように感じるようになったなったのはいつからだろう?答えを与えてくれない本や先生は良くないもの、って考えがちになっている気がします。


「無心」という言葉、武術を志している人からすると避けて通れない話題ではないかと思います。そもそも「無心」ってなんだろう、どうやったら辿り着けるのだろうか?って思いながら、この本を手にしました。この本を読めばなんらかの答え、それが無理でもヒントぐらいはもらえるのではないかと期待していました。



正直に言います。最後まで読み切ったのが不思議なぐらいです。何を話しているのがよくわからなくて、本当に字面を追っただけの読書になってしまいました。時間の無駄、と割り切って途中で読むのをやめてしまうっても全然おかしくなかったと思います。仕事をしていた頃の自分なら間違いなくそうしていたと思います。


読み続けることができたのは、「無心」という言葉を理解するためのヒントが少しでも得たい、という強い思いがあったのかもしれません。あるいは自分をそこまで惹きつける何かがこの本にはあったのかもしれません。


解説の中に、「本書はすぐれた仏教思想の解説書」、そして著者の仏教生活の体験事実をできるだけ精確に叙述した「体験の書」との評価がありました。「無心」は頭で考えるだけではダメで、体験をしなければいけない、という話がこの本の中には何度も出てきます。解説者は、この本を通じて、「読者は著者の体験事実を自らの体験事実に深めようとするのではなくてはならない」と言います。そのために、「幾度も幾度も繰り返して熟読すべきもの」だとしています。


なんだか富士山を目の前にしてこれから登ろうとしている気分です。少し時間を置いてまた挑戦したいと思います。



これからもいろいろな話題を紹介していきます。

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