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眼鏡なしの生活

執筆者の写真: Mitch SatoMitch Sato

高校2年生になったころから視力が悪くなりはじめ、そのころからずっと眼鏡をかけてきました。ちょうど指数関数、対数関数の勉強が始まったころ。先生が黒板に書く大きめに書かれた数字の肩のところに書かれる小さい数字が読めなくなったのがきっかけです。


以前から師匠に、眼鏡に依存しない生活をしてみるようにと言われてきました。できるだけ遠くを見ることで視力が回復する可能性があると。近くを凝視すると、目の周りにある筋肉が柔軟に動かなくなってくるからだ、っていう説明は、太極拳をやり始めて、身体が柔らかくなる中、いろいろな動きができるようなった経験を経ると説得力はあります。


何年か前に、一度試したことがあります。その時には、教室で教えているときにあまりにも目つきが悪くなり、それが不評でやめました。


最近、本を読んでいるとき、携帯を見ているときに眼鏡をはずしていることが多く、いちいちつけたり外したりするのであれば、いっそのこと外して生活をしようと決めました。


まだ数日ですが、いくつか気が付いたことがあります。


全般的にはそれほど悪くないです。私は近視なので、離れたところの細かい文字が見えません。道を歩いていて、車や自転車が自分に近づいてくるのはきちんとわかります。文字がはっきり読めなくても、歩くのには大きな支障にはなりません。


バスに乗るときにちょっと困りました。シンガポールでは、バスの正面に示されている番号で行き先を確認することが多いのですが、かなり近づいてこないと番号が読めないことがあります。バスが近づいてくると、手を挙げて乗車の意思を示すのですが、自分以外に乗る人がいなくて、番号が確認できないことで手を上げないでいると、たまにバスがそのまま通過してしまいます。次のバスまでしばらく待たなければいけないので、バスを待つときには眼鏡があったほうがよさそうです。


家の中ではかけていなくてもそれほど不便は感じませんでした。料理は手元が見えていれば問題ないようです。問題がないと思っていて、実は問題があるのが掃除。眼鏡をかけていない状態で掃除をすると、細かいほこりが見えません。きれいになったと思って、後で眼鏡をかけてみてみると、細かいゴミがたくさん残っていたりします。シャワールームの掃除も同じですね。シャワーを浴びるときは通常眼鏡をはずしているので、シャワールームがどのくらい汚れているのかが見えません。たまに眼鏡をかけたまま入ると、即座に掃除したくなります。


個人レッスンの時にちょっと困ったことがありました。時計から離れているところにいると、時間がわからないのです。通常60分のレッスンですが、普段は目の端の方で時間を確認します。眼鏡をかけていないと、しっかり時計を睨まないと時間がわかりません。グループレッスンの時には、いろいろな人を見て回るので、時計の近くに行くチャンスがいくらでもあります。tをしていないので、壁掛けの時計を見るしか方法のない私にとっては結構大きな問題かもしれません。ちなみに教えるということだけに限れば眼鏡がなくても全く問題はありませんでした。


武術として太極拳をやっている以上、推手(すいしゅ)で相手と組みあうときなどは、眼鏡をはずさないと危ないです。万が一武術としてつかわなくてはならなくなったときも、眼鏡があると邪魔です。そういった理由もあって、できるだけ眼鏡をしない生活を試みたいと思っています。


できるだけ、一点に視線を居つかせることなく、遠くをなんとなく見ることで全体を見渡すことができるような目の使い方ができるようになるのが理想です。ちょっと違いますが、見の目ではなく、観の目を養うことにもつながればいいなと思います。




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