学校でも会社でも何かを学ぶとき、多くの場合、教科書やテキストがあって、それに沿ってならってきたと思います。先生は、書いてあることに沿ってどう教えたらよいかを工夫するっていうことが必要になります。
この場合、書いてあることと違うことを教えると、あっという間に生徒から質問を受けることになると思います。ここにこう書いてあるけどと。
口伝(くでん)で物を習う経験ってなかなかできないことではないでしょうか。伝統工芸とか何代にもわたって続いている飲食店とかはそういうことが多いのかもしれません。テレビで歴史のある飲食店を紹介してる場合には、先代がレシピを残してくれず、見よう見まねで先代の味に追いついた、なんて話を良くしています。会社の中でも、営業のコツなんていうのは、口伝なのかもしれないと思います。
宮本武蔵の五輪書の火の巻には何カ所か「口伝なり」という言葉が見えますし、世阿弥の花伝書にも「これは筆に見えがたし。値しての口伝なり」と書いてあります。
大衆を教育するのではなく、本当に詳細まで、細かいニュアンスを含めて伝えようとすると書き物を通してでは伝わり切れないことがあるでしょう。自分も師匠に習ったことをメモしてはいます。自分で読むと、なるほどあの時こんな風に言われたな、といった備忘録になりますが、果たして別の人が読んでわかるものになっているかというと正直自信がありません。
太極拳も師匠によってはある程度書き物を残してくれている方もいると思います。うちの場合は、師匠も、先代の師匠も書いたものを全くの残してくれていません。すべてが口伝です。なので、教える側も教わる側も腰を据えて取り組まないとうまくいきません。逆に腰を落ち着けて伝え、伝えられる関係ができると本当にしっかりと学ぶとることができるのだと思います。
うちの師匠は、太極拳の基本は套路、という方なので、とにかく套路を学びます。私も套路の修正を繰り返し受けてきて、現在9巡目の修正を受けています。一応これが最後の修正になる予定です。なんで9巡もの修正を受けなければならないか、それが口伝のあるべき姿なのかもしれません。もちろん、私ができのわるい生徒だから、というのが最大の理由でしょうけど。
口伝で習っていてきついことはいくつかあります。まずは復習がしづらいです。書いてあるものがないので、習ったことを忘れる前にメモを取らない限り、どんどんうろ覚えになっていく。伝言ゲームではないですが、場合によっては教わった中身と全く違った風に記憶していることもあり得ます。うちの場合は、ビデオをとることも禁止しているので、個人レッスンが終わったら、すぐに復習をする、メモをとる、といったことが求められます。
以前言っていたことと、今回聞いた内容が違う、もしくは矛盾する、っていうのもあります。口頭での説明はどうしても書面の説明に比べると、場面設定といいうか、条件設定というか、そういったものの準備が弱くなりがちだと思います。こういった場合にはこうだけど、別の場合にはこう、っていうことがあると思いますが、その時教えている内容で自然と条件設定ができていると教える側が思っていて、教わる側はその意図がくみ取れないことがあります。
書いたものがないので、この間はこう言っていたけど、と言ってみても、「そんなこと言ったっけ?」と言った言わない議論になりかねません。議事録を残すなんて習慣はないですし。
場合によっては、数学的、物理的に、ある動きだったり、要求だったりがあり得ない、と思わざるを得ないこともあったりします。これも何か設定する条件が足りなかったりするのが原因であることもありますし、そういった方向からの考慮をしたことがないことが理由だということもあるかもしれません。教わった内容をきちんと活字に起こそうとすると、いろいろな検証を経てから世に出ると思いますが、口伝の場合には、自分の頭の中でどう消化したかだけになりがちだと思います。
教わる中でいろいろな矛盾に出会いながら、それをどう解決していくか、師匠が持っている知識、技をどう理屈が通るように説明をできるようになるかは、結局、繰り返し学んで、何度も修正を受けていろいろな場面を経験することでしか達成できないのだと思います。
こんな風に考えられるようになった今は、教わった内容に矛盾を感じても、矛盾のまま記録しておくことができるようになりました。でも、習いたての頃は、何度か師匠としょうとつしそうになったこともあります。昔習っていた陳式の先生も、先代とよく激しい議論になったと話されていました。
口伝で何かを習うことができる、というのは貴重な経験だと思います。口伝で習うしか方法のないものを学ぶ機会を得ることができたということです。でも、口伝で学ぶためにはそれなりの覚悟は必要ですね。
一番楽なのは、教科書と口伝の抱き合わせですが、書き物にした瞬間に、書いてあるものは過去の物、進化しないものになってしまう、というのも事実でしょう。うちの師匠がよく言います、自分の太極拳は今も進化しているのだと。
ちなみに、自分の無知をさらけ出すだけですが、このブログを書くまで、口伝を正しく読めていないことに気が付いていませんでした。パソコンでひらがなで打ち込んでも「口伝」というのがなぜ出てこないのだろうと悩んで、初めて辞書を引きました。これも学びです。
これからもいろいろな話題を紹介していきます。
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