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入門弟子と入室弟子

執筆者の写真: Mitch SatoMitch Sato

更新日:2022年9月23日

伝統中国武術の弟子には二つタイプがあります。入門弟子と入室弟子。カンフーの映画で武術の練習を屋敷の庭でやっているのをご覧になられたこと、あるのではないでしょうか。庭に入って教えてもらうためには門を入らなければならないので「入門」、さらに師匠の家族同様となってて伝統を全て引き継ぐために家まで入ってより多くの時間を一緒に過ごすので「入室」。入室弟子になると技を引き継ぐ責任が重くなる一方、一般の人や入門弟子には教えないことを教えてもらうことができるようになります。その責任とたの弟子とのつながりはさながら家族同様で、一度入室弟子になったら、基本的には途中で投げ出すことはできません。師匠にとっても引き受けた入室弟子は我が子同様に育てます。

うちの師匠の弟子は、こんな感じです。


入室弟子が7人、入門弟子の数はたくさん。私は2020年の6月に他の二人と一緒に入室弟子になりました。師匠や先輩入室弟子は中華系でない私が本当にその文化を深淵まで学べるのか、本当に家族の一員としてやっていけるのかと心配をしていましたが、最後は引き受けてくれました。ちなみにそれは、自分が入門してから3年目のことでした。

うちの師匠の方針でかなり伝統的な方法に則っていると感じます。最近では、師匠と弟子の関係も昔に比べると希薄になってきていますし、そもそも徒弟制度を取らないところも多いです。

入室弟子にならないと教えてもらえないことはどんなことか?技の活用の仕方が一つです。技によっては危険なものもあるのでいたずらに教えて他人を傷つけることがないように、師匠がこの人なら大丈夫、と思った人にしか教えません。指圧もその一つです。伝統的な太極拳はその教えの中に、経穴のポイントやそれをどう押すと何に聞くのかの体系を持っています。うちの師匠も癌や腎臓疾患の人に指圧を施して、医者が驚くような改善をもたらしたりしています。経穴のポイントも場所によっては危険なものもあるので、やたらには教えません。

弟子になることは伝統を受け継ぐための第一歩にしかすぎません。当然、師匠と二人三脚で鍛錬を続けていって初めて伝統を吸収することができます。まだまだ私の道のりは長いです。


私の推測に過ぎませんが、昔は、弟子にならないで学ぶことはなかったのではないかと思います。つまり師匠に習っているのは、入門弟子か、入室弟子のどちらかだったのではないでしょうか。今は、学校が門戸を広く開けているので、弟子にならないで学んでいる人も結構います。そうなってくると微妙なのが入門弟子の位置付けです。


学んでいる人は全て弟子だと言うのは、師匠の奢りのような気もするし、かといって、学校の運営にそれほど積極的に関わるわけではない入門弟子に何の役割を担わせるのかが今ひとつ明らかでなくなってきます。


自分が習っている師匠に対して、しっかり学びたいと言う意思を示し、将来的には入室弟子になるための過渡期、と言うのが今の段階の私の答えです。


自分の学校では、すぐに弟子制度を始めようとは思っていません。誰か、本気で学びたいと言う人が出てきて、その人の思いが、私と方向性が同じだなと確認できたらぼちぼち考えたいと思っています。


その前に、自分自身が師匠と呼ばれるにふさわしい人間にならないといけません。まだまだです。



これからもいろいろな話題を紹介していきます。

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