この本は、講談社版の同じ本を後に読みました(世阿弥「花伝書」 (mitchsato17.wixsite.com))。全体の構成やどんなことが書いてあるのかをなんとなくでも知っていたため、読みやすく、また、内容も前回よりは理解でたと思います。
太極拳を芸術としてとらえ、それを極めていくうえで参考になる所がいろいろとありました。
「上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。下手の良きところを取りて、上手の物数に入るること、無常至極の理なり。人のわろきところをみるだにも、我が手本なり。いはんや、良き所をや。「稽古は強かれ、情識はなかれ」とは、これなるべし。」(50ページ)
「稽古に位を心がけんは、返す返すかなふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさえ、稽古しつる分も下がるべし」(52ページ)
「得たる上手なりたるシテも、身を憑み、名に化かされて、この故実なくて、徒らに、明眸よりは寿福かけたる人多き故に、これを嘆くなり」(76ページ)
「この寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら、世間の理にかかりて、もし、欲心に住せば、これ、第一、道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには、寿福増長あるべし。寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、寿福おのずから滅すべし。正直円明にして、世上万徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし」(78ページ)
ただ、能は観客にみてもらうこと、観客に感じてもらうことにその基本があると思います。太極拳も教える際には生徒さんに見てもらうこともあるし、競技会であれば審判に見てもらうこともありますが、基本は自分の心身を鍛えるために行うものだと思います。その性質の違いから、参考にはなるけれども、芸術としての太極拳がいかにあるべきか、というところまでは当然踏み込めません。その部分は太極拳を実践してきた人たちの文書、もしくは自分自身のこれからの鍛錬に依存しなければいけないところです。
なので、漢文法の学習をもっと加速して、太極拳に関する古典をもっと読む時間を増やそうかと思います。ちょっと遠回りをしましたが、あるべきところに戻ってきたように感じます。
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