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執筆者の写真Mitch Sato

では、本帰国はいつ?

経済的な問題は完全に片付いたわけではありませんが、とりあえず、ビザの問題が解決したので、物理的にシンガポールでの滞在を続けることは可能になりました。


もともと今年の8月で本帰国を予定していて、その旨、教室の生徒さんにもアナンウンスをしていたので、いつまで教えてくれることができるのか、という問い合わせを、自分が教えている生徒さんから頂いていました。まだ学校と交渉中で決めていない、と答えを濁し続けていきました。


シンガポールの教室で、教えるリソースの問題が片付くまで滞在する、というのは理想ですが、確実に自分の代わりになってくれる人がいるわけではない状態なので、何年先になるのかわかりません。


もともと滞在の延期を決めた時には、兄弟子が気持ちを入れ替えて、きちんと教えてくれるようになるまでの時間稼ぎのつもりでした。半年ぐらい時間をおいて、私自身の学校の開講も延期するという状況を見れば、気持ちを切り替えてくれるだろうと期待していました。


最近、師匠やその周りにいる人の話を聞いている限りでは、私の淡い期待は実現しそうもありません。


色々と話が出てくる中で、私自身がシンガポールの学校を継ぐことはできないのか、という話が出てきたこともありました。外国人として、伝統的な太極拳教室を世襲できることができれば、それはすごいことだと感じる一方で、ビザの問題を考えると現実的ではないとわかっていました。本当に伝統を守る教室であれば、外国人が次いでしまうのは問題があるのではないかという意識もありました。今となっては狭い了見と言われるのかもしれませんが、たとえば、日本人が、伝統的な寿司の握り方を本格的に学びたいのであれば、外国人にではなく、日本人から学びたい、と思うのは当たり前のような気がします。伝統的な学校の運営には、中華系の人たちの生活に根付いた行事も色々とあります。そこを吸収し切れるほどには、文化の吸収を私自身ができてはいません。


時期を伸ばすことができるということになると、もっと師匠から学び続けたら良いでないか、より高いスキルを身につける機会を持てるのではないか、という欲が生まれなかったわけではありません。でも、これもキリがないので、どこかで見切りをつけなければいけない話です。免許皆伝、というわけではありませんが、すでに師匠からは自分の学校を持って良いという了承をいただいているので、なおさらです。


時間は滔々と流れていて、それに区切るのは人間です。来年で55歳になります。75歳まで教え続けられれば、20年教えることになります。ちょうど良い区切りかな、という気分です。


シンガポールの学校が心配でない、というわけではありませんが、自分が全てを解決できるわけではないので、時期の決定は、自分で線引きをすることにしました。来年の旧正月のお休みを区切りにして、日本に本帰国するつもりでいます。


東京での自分の学校、呉式太極拳教室「太極の小径」の開校は、2024年4月の予定です。当初の予定よりも6ヶ月遅れてしまいます。これまでご関心をいただいていた方々、ご迷惑をおかけしまして恐縮です。


でも、今回の遅延のおかげで、改めて自分の教室に関して色々と考え直すことができました。具体的な内容については、次回のブログでご紹介します。





 

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