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「易の話」(3)ー 思想の書

「易の話」をご紹介する第三回目です。



ここまでの章で、「易」の占いの本としての性格がどのようなものであるのかという説明をしてきました。誤解を恐れずざっくりとまとめると、昔の伝説的に偉い人が書いた文書で、ありがたいものであるから、それに基づいて自分の将来を占うと、進むべき道を教えてもらうことができる、といった感じだと思います。信仰に近いものですね、信じる者は救われる。


さて、この占いの本である「易」がどんなふうに思想の書という性格を得るようになったか、が今回のお話です。三つの段階があったとされています。


一つ目は、紀元前200年ごろ、前漢の時代のお話です。漢が中国を統一すると、儒教を国教化しました。それによって、儒教で尊重される5冊の本(五経)の一つであった「易」も、思想的に解釈を加えられるようになりました。その結果、単なる神秘的な占いの本ではなく、「易」のことばを尊重して、引用し、自分の主張の助けとする人が出てきました。つまり、易に対して、教訓や指針を求めるようになってきたのです。「易」に出てくる64卦それぞれが、人が遭遇する場面を示しているという考えから、特定の」が場面に遭遇したらどう行動するべきか、を示していると考えるわけです。他力的に占いに頼るのではなく、自力で救済をするようになってきます。


次に出てくるのが、王弼(おうひつ)という人です。西暦200年ごろ、三国志の時代の人です。この時代は、儒教が窮屈に感じられるようになり、その形式的な道義性からの解放が求められた時期でした。そこで老子や荘子の自由な精神が人気を得るようになっていました。


王弼が考えたのは、64卦が示す場面の背後には、すべての現象を支えている、現象の奥にある真理があるはずだ、ということです。これは、もともと老子が主張している「道」に通じる考え方です。王弼は、この根本的な真理を「無」と名付けました。


作者は、王弼をこう評価しています。「「老子」の時代には、「道」の属性とれた「無」は。。。王弼にとって最も重要な基本概念として、その哲学の中心に座をしめており、しかもそれは存在性を洗い去った形而上学的な形式概念に近いものとなっている。老荘的な無の思想は、王弼によって完成したといってよいだろう」


現象の後ろにある根本的な「無」。太極と無極の関係を理解する上でのヒントになりそうです。


さて、この後、王弼没後700年余り後、北宋の時代の人で、程伊川(ていいせん)という人が登場します。この人は、王弼と同じように、根本的な真理を「無」ではなく、「理」と名付けて理論を展開します。時代的な背景からも、あからさまな老荘思想を前面に持ってくることが嫌われ、「無」という考え方が否定されたといわれています。


この部分、何度も読んだのですが、私の現在の力では、「無」と「理」が具体的にどう違うのかを説明できるまでには至っていません。いつかまた挑戦してみたいと思います。


このような歴史を経て、占いの本は、思想の本へと変化を遂げていきます。確かに「易」を読んでいると、こういう場合にはそうしなければいけないなぁ、と思わされることが結構あります。


次回は、易が中国人の思想に及ぼす影響を説明します。



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